昨年11月、パリで博覧会国際事務局総会が開かれ、2025年の万博の開催地に、「大阪」が選ばれました。大阪での開催は、1970年以来55年ぶりとなります。

この大阪万博2025が開催されることによって、大阪の不動産市況に大きな影響をもたらすといわれています。今回の前編では、過去に開催された大阪万博1970で、日本にどんな経済効果があったのかを見ていきたいと思います。

万博って一体何?大阪万博1970を振り返ろう!

55年前に開催された大阪万博1970当時、まだ小さかった方やその当時には生まれていなかった方は、「大阪で万博開催!」と世間が賑わっていても、一体万博がどういうイベントなのか、どれぐらい凄いものなのか想像がつかないですよね?

まずは、万博とはどういうイベントなのか、大阪万博1970の概要とともに皆さんにお伝えしていきます。

万博とは

万博とは、「万国博覧会」の略式で、世界各国からたくさんの方が訪れる大きな博覧会です。万博が開催される国は、この博覧会で技術やアピールポイントを披露し、色々な国と交流を深める場となっています。

初めて万博が開催されたのは、1851年のロンドンでした。そして、日本で初めて万博が開催されたのが、1970年の大阪万博でした。

今まで日本で開催された万博は、大阪以外に、1975年沖縄県、1985年の茨城県、2005年の愛知県、となります。万博は開催国をアピールするものであるため、2025年に開催される大阪万博は、日本にとって大変重要なイベントとなります。

日本初の大阪万博1970の開催場所は?

2025年に開催される大阪万博2025は、大阪市此花区にある「夢洲(ゆめしま)」で開催されることになりました。では、大阪万博1970はどこで開催されたか、皆さんご存知でしょうか?

大阪万博1970は、吹田市の「千里丘陵」という所で開催されました。千里丘陵は、現在の吹田市、豊中市、茨木市、箕面市にわたる広地域となっていて、最寄り駅は、大阪万博1970の開催に伴い、千里中央駅と結ぶために作られた北大阪急行電鉄の「万博中央口駅」という駅でした。

しかし現在は、万博中央口駅は廃止されて存在しません。そして、大阪万博1970の跡地の一部として今もなお使用されているのが、大阪モノレール線「万博記念公園」駅にある、EXPOCITYなのです。

EXPOCITYは、大型複合商業施設で、週末には家族連れで大変賑わっています。大阪万博1970が開催された後も、有効的に土地が使用されています。

大阪万博1970の開催期間&来場客数&参加国数

大阪万博1970の開催期間は、1970年3月15日~同年9月13日の約半年間でした。万博の開催期間は、登録博覧会で6週間以上6ヶ月以内、認定博覧会で3週間以上3ヶ月以内で設定する必要があります。

大阪万博1970は約半年間開催されたので、登録博覧会だったという事になります。来場客数は世界各国から約6,400万人となりました。予定来場客数は3,000万人で設定されていたので、予想を上回る結果となりました。

半年間で大阪に約6,400万人もの人が訪れるなんてなかなか想像できないですよね。日本の人口は約1億3,000万人(2018年12月現在)ですので、日本人の2人に1人が、大阪万博1970に訪れた事になります。

そして、参加国数は、日本はもちろん、アメリカ、韓国、イギリスなど主要な国々、77ヵ国とたくさんの国々が参加していました。来場客数、参加国数だけで見ても、大阪万博1970はかなり大規模な博覧会だったといえるでしょう。

大阪万博1970のテーマは『人類の進歩と調和』

万博にはテーマがあり、大阪万博1970のテーマは、『人類の進歩と調和』でした。1970年の日本は高度経済成長期真っ只中で、皆さんに馴染みのあるマクドナルドの第1号店がオープンした年です。

そして、動く歩道や、電気自動車(現在は一般自動車)などが披露され、それが当時では大変珍しく、まさしくテーマである人類の進歩を強調する博覧会となりました。

大阪万博1970のシンボルといえば『太陽の塔』

大阪万博1970で作られたもので、今でもなお身近な存在であるのが、「太陽の塔」です。太陽の塔は、岡本太郎さんによって制作され、大阪モノレール線「万博記念公園」駅の目の前にあります。

太陽の塔の高さは70メートルで、内部構造は「過去・現在・未来」を表現しています。現在、完全予約制となっておりますが、太陽の塔の内部が一般公開されています。

そして、太陽の塔では毎年人気のイルミネーションイベントが行われており、2018年12月には今話題の3Dプロジェクションマッピング技術を利用した映像ショーが話題となりました。大阪万博1970が開催されてから約50年が経った今でも、太陽の塔はたくさんの方に愛されています。

大阪万博1970が開催されたことによる経済効果

大阪万博1970で訪れた来場客数は約6,400万人。これほどの人が訪れたということは、一体日本にどれほどの経済効果をもたらしたのでしょうか。次は、大阪万博1970による日本への経済効果について見ていきましょう。

大阪万博1970による売上額は?

大阪万博1970の入場料は、1人あたり、大人(23歳以上)で800円、青年(15歳~22歳)で600円、小人(4歳~14歳)で400円でした。単純に来場客数6,400万人×大人800円で計算すると、入場料だけで512億円の売上になりますね。実際の入場料の売上高は、約350億円でした。

そして、博覧会で歩いたり待ったりしているとお腹が空きます。食堂で食べたり、売店で食べ物を購入したりと飲食代としての売上が、約405億円となりました。

このように会場内の売上だけみても合計約755億円の経済効果が出ているのが分かります。

大阪万博1970閉会後の経済効果は?

大阪万博1970が閉会された後も、その跡地は有効的に使用され続けています。大阪万博1970の跡地として、「エキスポランド」というテーマパークが建設されました。

広大な敷地内にたくさんアトラクションが作られ、子どもから大人までたくさんの人がエキスポランドに足を運びました。しかし、残念ながらエキスポランドは2009年に閉園となりました。

エキスポランド閉園後、この広大な跡地をどう使用するのか注目されましたが、前述でもお伝えした、2015年に「EXPOCITY」が誕生したのです。

EXPOCITYはららぽーと系列となり、大きなUNIQLO、フードコート、映画館などがあり、特に小さな子ども連れのご家族が週末には多く来店しています。筆者も、何度かEXPOCITYに行ったことがありますが、非常に広い複合施設で、建物の外には、小さな乗り物がいくつかあり、小さい子どもが楽しそうに走り回っている姿がとても微笑ましい光景となっています。

さらに、日本一の高さと言われている観覧車「Redhorse OSAKA WHEEL」、そして海遊館が運営している水族館「NIFREL」が作られて、大阪万博1970の跡地は有効に使用され、大阪の経済に良い影響をもたらしています。このように、万博閉会後もたくさんの人が笑顔になっているのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。万博は世界各国に日本の魅力を伝えることができる大きなチャンスを与えてくれるイベントです。そして、万博が日本で開催されるということは、万博開催期間はもちろんのこと、万博閉会後もうまく土地を有効活用できれば、日本の経済にプラスの効果が生まれます。

後編は、2025年の大阪万博の開催に向けて、大阪の不動産市況がどのように変化していくのかを予想していきたいと思います。

【記事筆者】

關口さゆり
關口さゆり
大阪府在住。20代半ばから不動産業界に携わり7年目。宅建士・ファイナンシャルプランナー2級の資格を保有しており、現在AFPの資格取得のため猛勉強中!過去の借金の経験からどうやって資産を増やしていくのか日々奮闘しております。皆さんのお役に立てられるように頑張ります!